実写版ドラゴンボールの製作が決まった漫画家鳥山明の素顔はあまり知られていない。そんな鳥山明の一部分を覗いてみた。
Drスランプやドラゴンボールのヒット作品を続けざまに出した鳥山明は、生まれつき絵を書く才能があったとみえる。幼少時代は決して裕福といえない家庭に生まれ、小学生以降はマンガをほとんど読む機会が無かったと言っているが、腹を空かしながらでも漫画を描くことが唯一の楽しみだったと言うから、持って生まれた才能のなせる業であろう。漫画を本格的に書き始めたのは高校卒業後、社会人になってからで23才の頃。サラリーマン生活にいやけがさし、会社を2年で辞めている。そんな時お金に困っていた鳥山は、たまたま週間少年マガジンを見て新人賞をとれば50万円が貰えると知り、一念発起したようだ。残念ながら新人賞の締め切りに間に合わなく、そこで毎週作品を募集していた「週刊少年ジャンプ」へ作品を投稿するようになる。この時が少年ジャンプとの出会いであり、少年ジャンプの六百万部の快挙を成し遂げる鳥山明の誕生でもある。その後今の担当編集者となる鳥嶋和彦に出会い、鳥嶋の元で修行を始め、のちDrスランプのヒット作を世に出すことになる。
ドラゴンボールZの頃から製作が間に合わなくなりかなりの多忙だったようだ。探っていくとどうもフリーザー編辺りから、展開が原作に完全に追いついてしまい切羽詰った状況に陥ったと見える。このフリーザ編では、最大の見せ場とも言えるバトルシーンのクオリティが大きく下がったとも指摘されており、その理由としては主力スタッフが劇場版の作画で忙しかったからだと思われる。またスーパーサイヤ人に変身すると金色のオーラが出るが、効果音を付けたりパワフルさをかもし出したが、これも手間がかかりCGもない時代ブラシ処理や透過光といった特殊処理で表現していたために、それ自体が大変な手間を要するものであった。また、続編として『ドラゴンボールGT』の製作が決定したため、原作が終了した後にも引き延ばしが目立ったり、1ヶ月も放送を休止する事態となったこともあった。これらのことから製作が多忙を極めていたことがひしひしと感じられる。
鳥山明はかなりのめんどくさがりらしい。Drスランプでは雨を描くのが手間と長い間ペンギン村に雨が降ったシーンがない。ドラゴンボールでは、フリーザーの最終形態を簡単にすることにより時間短縮をはかっている。そういえばフリーザーの第3形態はあっという間に最終形態になってしまっているのを思い出す。複雑で描くのに時間がかかるとされている市街地などは、すぐ爆破シーンをもっていくなどをしている。また、鳥山明は「ラブストーリー」を描くのを避けている。嫌いなのか、ストーリーを描くのが下手なのか。Drスランプでは則巻千兵衛と山吹みどり、ドラゴンボールでは悟空とチチの結婚するまでの話はさらっと流している。一番笑えるのは、セル編で、トランクスが過去に戻り自分の存在の過程を告げるシーンがあるが、あのベジータ星のプライド高き王子ベジータがブルマと結婚をしたことを話された孫悟空はびっくりして腰を抜かす。本人曰く「気の強い女性が好き」と語っており、なよなよとした女の子を描くのが苦手なため、女性キャラはいつも気が強く似たような性格になってしまうらしい。